みなせです。
気づけば9月。秋が近づいてきました。
とはいえまだまだ暑いです。最近、近所を散歩したりしてますが、数年ぶりくらいに蚊にめちゃくちゃ刺されました(笑)これもまた夏!って感じがしますね。
新型コロナの感染者数が再度減ってきて、少し落ち着いてきてます。ただ、感染症が恐ろしい冬も刻一刻と近づいてます。まだまだ出口が見えない日々です。
私自身も病院で勤務している人間ではありますが、直接新型コロナに感染された方との関わりはないところにいます。が、だからこそ、自分自身が感染し、感染源となってしまうことは恐怖ではあります。できる範囲で、慎重にならざるを得ません。
(めちゃくちゃ余談なんですけど、個人的に集団感染=クラスターっていうのに非常に抵抗があります。私がヲタクになったきっかけのアニメが「クラスターエッジ」だからです。クラスターが余りよろしくない雰囲気で使われてる・・・・!!って日々なってますし、クラスターって聞くたびにちょっと反応してます(笑))
ただ、ウイルスという目に見えないものから完全・完璧に身を守るのは難しいし、そもそもなりたくて病気になったわけではない。でも、周囲からの目は厳しい世の中です。
専門的な知識を持つ人々ばかりの病院の中でさえも、偏見の目は消えません。
恐怖というものは人の視野を狭めるんだなぁって、改めて思います。ただ、それが悪いことだとは決して思いません。防衛本能は誰にでもありますし、正常な反応です。
元来、私は人と関わるということが苦手です。距離感の加減がわからないというのが正解なのかもしれません。幼少期からの経験の結果、人と距離を非常に取ってしまう性質が生まれてしまい、さらには「人に関わらないのが最善」という認識を持ってしまいました。これもまた、防衛本能です。
でも、残念ながら、人と関わらずに生きていくのは難しいし、孤独というものと向き合わないといけなくなります。
100%安全・安楽って、すごく難しいです。どこかで折り合いをつけなきゃいけない。
一人でいたいけど、一人は寂しい。その「間」を、どうにかして作っていくこと。
今までやってこなかったことをやるのってすごく怖いことです。自分と向き合い、そして、他者と向き合い、そうやって形成していかないといけないわけです。
その途方もない作業工程を考えると、もうやめたくなります。
色々、小難しく考えすぎですね。
「疲れてるから、一人でいたい」「寂しいから誰かといたい」「話がしたい」
それだけのことなんです。でも、考えようと思えばどれだけだって考えることができちゃいます。「普通とは」「信頼とは」っていう定義を求めてしまいます。それもまた、安心を求めてるからなんです。自分は正しいと、誰か・何かに証明してもらいたい。
じゃあ、何を持って正しいんですかね?
多数派だから正しいってわけじゃない。頭の良い人が考えたから正しいってわけでもない。
世の中は、正論だけで生きていけるわけでもないのです。
算数みたいに、答えは一つじゃないですよね。それが楽しくもあるんですが。
人の話を聞くのって、すごく面白いですし好きです。どうやら私は話しやすい?言いやすい雰囲気があるようで、いろんな人の話を聞くことができるので、非常にありがたいです。
それによって軸がブレブレになってしまうことや情報の取り扱いに慎重にならないとという緊張感もあったりしますが、基本的には頑固な人間なので、自分のやりたいことに関してはそこまでぶれたりはしません(笑)
ただ、私のように視野の狭い人間は、時にたくさんの情報に混乱を来します。
正論・正解、そして、周囲の評価を求めすぎているんです。
「もっと楽に生きれば良いのに」
「自分軸で考えれば良いのに」
そう言われます。そうしたいのは山々なんですけど、うまくいかないです。
ちょうど今の推しのキャラクターソングが、そんな曲だったので「めっちゃわかる!!!」って思いながら聴いてます。(そして、推しは今日も可愛いです。早くライブで黄色いサイリウム振りながらHEY!って叫びたい。)
どんな人も、「楽をしなきゃ生きていけない」。
平和とは言いませんけど、もっと楽に生きていきたいですね。
そして、ナナニジのライブで盛り上がれる日が早くきてほしい・・・・。