みなせのメモ帳

思ったこと、考えたこと、買ったもの、感想とか書いていきます。

オタクってやつは。

 

オタクです。

 

なんというか、自分の肩書きに一番合うフレーズだと思っているんですけど、狭く深くってタイプではなく、浅く広くって感じなので「一点特化型オタク」との相性はすこぶる悪いタイプのオタクです。もうなんていうかDDって感じです。誰でも、なんでも大好き。

 

なんのオタクなの?ってなると思うんですけど、

・・・色々っていうのが正解です。

 

今一番追いかけているのは・・・22/7、とハロプロ・・・・あとSixTONESSnowMan・・・・リラックマ、すみっコぐらし・・・・ポムポムプリン、ポチャッコ・・・・Suicaペンギン・・・・ピクミン・・・カービィ・・・・あっ、ちいかわ・・・

 

あと年1くらいのペースでWUG(Wake Up,Girls!)の亡霊になってます

 

・・・・

 

多分、目があったら好きっていうタイプの人間です(極端

 

好きなものが多いことの一番の利点って、多分「四方八方に好きなものが散らばっている」ということです。

一点集中って、どうしてもそのコンテンツだったりが終わったりすると虚無ってなってわからなくなると思うんですけど、その点好きなものが多いとですね、一つのコンテンツが終わっても別のコンテンツは続いているので虚無になっても立ち直りやすい。これがメリットです。

・・・ただの薄情な人間に思えてきてしまった。

「はじまり」があるなら「おわり」もあるわけです。それは仕方がない。

でも、終わりに耐えられないんですね。終わりっていうダメージってすんごいデカい。

そこに耐えうるためには、別の好きが必要なんですよね。心の安寧を図るためには。

 

私にとって「おわり」がどれくらい辛いことかって言いますと、

小さい頃は全く知りもしない評論家の逝去のニュースでも泣けちゃうレベルです。

楽しみにしていた特番を見終わっただけで泣いてるレベルです。

実習の終わりの挨拶で絶対泣いてたレベルです。

やばいでしょ?最近だいぶマシになってきましたけど、本当こんな感じです。

繊細を通り越して、情緒がおかしい。

多分だからこそ、心を保つ予防線として好きを増やしているんじゃないかと思っています。

 

あとは、自分自身が五感を使う作業が好きっていうのがあります。

特に目で見る、耳で聴く、味わうって、すごい経験になるなって思います。

インプットが好きと言えばそう。・・・・逆にいうと、アウトプットは全く苦手な人間です。

特に喋りが本当に苦手です。喋るよりは、文章にした方がだいぶ饒舌だと思います。でも、物を形にするって作業は本当に苦手です。

ライブで歌っていた時、シンガーソングライターさんというか、自分で作詞・作曲されている方とお会いすることが多くあったんですけど、「日常の一コマを曲に」という言葉って本当にすごいと思うんです。

インプットしたものを「歌詞」とか「曲」というギュッと凝縮したものに作り変えられちゃうってことじゃないですか。得たものを自分専用に作り変えられる、というか。そういうのがびっくりするほどできなかったですね。そういう意味で、歌うことはできたとしても、歌手だったりには向いてないんだろうなぁって思っていました。

そういう意味での「我」がなかったし、誰かに作ってもらったとして、そこに自分の思いを注ぎ込めるかっていうと・・・正直わからなかったです。そういう方向性になることを全く考えなかったし、そういうことをやる存在になりたいわけじゃなかった。

逆に、好きなものでセットリストを作るのはめっちゃ好きです。これは今でも。

この曲の後にこの曲流すとめっちゃハマる!!いける!!みたいなことを考えるだけの作業を延々と繰り返してます。

 

・・・そんな感じで、芸術は好きだけど、芸術家肌ではない人間なので、オタクでいるのがすごく楽というか、良いポジションだなって思ってます。

それを「楽」と捉えるか、「努力不足」と捉えるかはその時の気の持ちようによるんですが、「楽」と思えるようになったからこうやって文章にできるようになったのかなとも思います。

その選択だってきっと好きで良いし。

 

好きなものだけ見ていられたりやっていられるわけじゃないのは分かってますが、自分で選択できるものやことくらいは、好きなものや好きなことで埋め尽くしたいな。と思う昨今です。